諸事万端に順調

 祠づくりは最終盤に入ってきたが、扉は難しく悩んでいました。いよいよになれば1枚扉でも良いかと考えていましたが、ここに強力な助っ人が現れました。友人のO君で「素人に出来る筈がない」と、材料を持ち帰って、6枚も作ってくれたのです。持つべきものは「友達」ですね。謝礼は一緒にツーリングをすることですから、こんな良いことは滅多にありません。 

 「祠に焼きを入れたら」と言う大工さんのアドバイスで、雨の日にCさんにやってもらう事としました。

写真は試しに板材にバーナーで焼きを入れているところです。ちなみに板材は松です。

 真剣にやっていますが、こんがりと焼きが入って良い感じになってきました。

 Nくんがジグソーを使って破風板の端に模様を入れています。材料はエンジの木なので硬くて難儀しているようです。このような作業では、作った作品に性格が出やすいのですが、妥協をしない、納得のいくまでやる性格のようです。

 破風板を取り付けてみました。四角の角のついたものよりも、神様の社にふさわしい雰囲気が出てきました。エンジの木は年季が入ったら、こげ茶色の何とは言えない風情のある色合いに変化しますので、焼きは入れずにそのままにしておくことにしました。


 駐車場整備も急がれます。先ず排水路から入れなくてはなりません。

ユンボで釣り上げ良いところに持ってこなくてはなりませんが、最初は中々うまくいきません。

 

 集水桝も2つ要ります。

1つは暗渠排水用の、他の1つは表面水の排水用です。しっかりと砕石を入れて締め固め、方向を見定めながら設置します。排水口が低くなるようにしました。 

 重くて一人では難儀なので、N君に手伝ってもらいます。若いという事は良いですね。手伝いを依頼すると悪い顔一つせずに、躊躇なく持ち上げて運んでくれます。

 眞砂土をねこぐるまで運んでいます。眞砂土は風化花崗岩できめ細かく、とても良く締まります。特に細工の必要な細部などの締め固めにはもってこいの材料で、建設現場では重宝します。業者から2トン車1台分を購入しました。

 スマホで角度を測っています。便利な道具が次々と開発されてくるものの、使い方を知らなければ宝の持ち腐れという事になります。

 暗渠用の有孔黒パイプの接手が見えますが、こういう細工が必要な処に使えばとてもきれいに仕上がり、しかも締め固めも効くので重宝するのです。

 仕上げもきれいになります。

 水路の目地止めをしています。モルタルを練って目地に詰めるのですが、水をかけて濡らして馴染ませてから塗っていきます。

 暗渠の有孔パイプに泥が詰まらないように、孟宗竹を割って載せます。ユンボで抑えると、簡単に竹が割れました。

 排水路に糸を張り、直線と水平を出し、つなぎの目地を止め、暗渠排水を行って集水桝に導き、孟宗竹の割ったものを載せて泥つまりを防ぎ、瓦で柔らかいところを補強し、初めて泥を運搬して埋め立てをします。随分と手間のかかることです。写真はねこぐるまで泥を運び、排水路の背後や下に詰めているところです。

 


 研修生のKさんにお花を活けてもらっています。健気に咲き誇っている花を見つめていると、自然に謙虚な気持ち、優しい気持ちが湧いてきます。いくらの郷が提携しているMOAの指導員さんです。

MOAには美術文化法、食事法とそれを支える自然農法、そしてエネルギー療法があり、眞、善、美を説いています。


 スイカも大きく成長しました。菜種の殻を敷いていますが、小さい頃は蛍を取るほうきを作って貰っていたことを思い出しました。時代が変わり今は石油製品で出来た「たも」を使用していますが、農業では捨てるところが無いまで利用します。

 

 そっとマルチをはぐって追肥をやりました。早く立派なスイカが実りますようにと毎日が楽しみです。

 ズッキーニも植えてあります。

 コショウも植えました。花が咲きましたが、受粉し実が実り食卓に上がるまでの長い時間が全て勉強の時間です。実に長い自然界との対話があって、その過程の1つ一つが実に意味深で示唆に富んだものです。


 今日は草刈りの伝授をしました。2サイクルエンジンの構造や、それに伴い燃料が異なる事、刈り払い機の構造、右から左に刈り最後に草を寄せる方法、斜面を刈る方法などです。

エンジンがかかると忘れてしまうので、「人のいるところでは振り過ぎない」ことをくどい程教えました。

 給油してエンジンを掛けてみます。エンジンの音が聞こえたら、先程教えた事も忘れるほど緊張し、作業に集中してしまいます。

時間の経つのを忘れるくらいです。

 菜種の殻を刈っています。「左側から刈るんだよ」と言っても、本当に意味が分かるのに時間がかかりました。刃の全面で刈れば、手前の刈れなかった草が巻き付いて抵抗になります。刃の半分より先で刈るのだと言った意味も、実地でやってみれば納得がいきます。

でも最初はそういうものかもしれません。

 

 いくらの郷も久しぶりの賑わいを見せています。

野口さんのビオトープに、米子から多くの親子連れが生きもの探しでやってきました。1年ほど前には竹やぶだったとは誰も想像がつかないと思います。

自分たちの環境は、自分たちで守っていくしか方法がありません。決して他人が良くしてくれる、守ってくれる訳ではありません。


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