いくらの郷では薪づくりに忙しい毎日を過ごしています。
山の尾根筋にある樫の木も、ユンボがあるので難なく思うところに倒して、枝木も隅々まで薪の材料として使います。
大きな材木はユンボで作業場としている道路脇に寄せます。
そこでトラックに載せる長さまで切断します。ここで薪にする長さまで切っても良いのですが、何しろ今年の暑さは異常ですから、休憩が自在に取れる事務所まで運びます。
N君とkさんが薪運びをしています。熱中症にならないように水分補給を十分にしていますが、とにかく暑いです。
アリとキリギリスのイソップ童話を思い出しますが、夏の暑いときに苦労しただけ冬に暖を取って命をつなぐことが出来ます。
トラックに載せたものを下ろしています。何しろ大きなものですから、二人かかりでないと簡単には下りてくれません。
切口を見ればチェンソーの切れ味が分かります。また薄く割れ目が入っていますので、その方向を狙って斧を入れれば上手に割れます。写真の木は下部の中心に斜めに割れ目があります。
kさんが切れ目を手でなぞっています。きれいに切れている面を見て、何かを感じ取ってもらいたいものです。
玉虫が出てきました。これを使った玉虫厨子(たまむしのずし)は、奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代の厨子[1]。装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある[1]。国宝に指定されている。樫の木から良く発生します。
概要[編集]
厨子とは、仏像などの礼拝対象を納めて屋内に安置する、屋根付きの工作物である。厨子にはさまざまな形式のものがあるが、玉虫厨子は実際の仏堂建築の外観を模した造りになっており、古代の日本建築を知るうえでも重要な遺品である。
厨子は高さ約2.3メートル[1]。檜材製だが、蓮弁を彫り出した部分のみ樟材を使用している[注釈 1]。全面漆塗装で、扉、羽目板等には朱、黄、緑の顔料を用いて、仏教的主題の絵画を描く。框(かまち)などの細長い部材には金銅透彫の金具を施してある。金銅金具の下には装飾のために玉虫の羽を入れてあるが、現在ではほとんどなくなっている。
厨子は、最下部の台脚部、その上の須弥座部、最上部の宮殿(くうでん)部からなる。宮殿とは厨子の古称である。宮殿部の屋根は錣葺(入母屋造の原形)とする。宮殿部の正面と両側面は観音開きの扉とし、内壁には金銅打ち出しの千仏像が貼り付けてある。宮殿部と須弥座部の各面に絵画を表すほか、蓮弁部など各所に色漆で忍冬文(パルメット模様)、龍頭、雲などを描く。 屋上の金銅鴟尾(しび)は近世に亡失したので補ったものである。もともとの本尊仏像は、三尊仏像であったが、13世紀に盗難にあい、現在は仮に金銅観音像を納めてある。
ジャイカの研修生も本格的に手伝ってくれました。
へっぴり腰ですが、割り木をやってみようという意志がありますから大したものです。大きく振り上げて打ち込むときに左手を滑らせて、最後は右手と一緒になるのですが、怖いのが先に立ってそのまま打ち下ろしています。
男の子のほうは上手く振り下ろしています。割れた時の爽快感がたまらないと言い、何度でも挑戦します。
いくらの郷の活動を良く知るお方から、耳の保護のための保護具が届きました。何気ない気遣いが、研修生たちのやる気を引き出します。
早速ジャイカの研修生が保護具を付けて薪割り機に挑戦しました。
N君も参加しています。割ったものを積み上げるのですが、これも上手に積まないと荷崩れを起こしますので簡単ではありません。形のいびつなものや、又のあるもの、割っていない丸太などは出来るだけ真ん中に・・・。
割った真直ぐなものを互い違いに横に積み、荷崩れしないように丁寧に積んでいきます。
八頭町の日赤奉仕団より視察を受けました。大きなバスで17名ものお方がお越しになりました。八頭町も引きこもりやニート対策が進んでいるようです。でも来られる団員のお方は、いずこも同じで女性が多いですね。
しっかりと研修して玄関で記念撮影です。仙田指導員が面白おかしく説明しましたので、皆さんが満足そうに写っておられます。
県内のネットワークが出来ればよいと考えて、吉田町長にお話ししておいたのですが・・・・。
kさんはジャイカの職員と一緒に餃子づくりをしています。独り身で一度にたくさん作ることはありませんから、あまりの量の多さに面食らっています。
ジャイカの男の子がネギを刻んでいます。異国の地に行けば色々な事が出来たほうが有利ですから、なんにでも挑戦しています。日本の旗を背負って、ペルーに2年間赴任するそうです。
N君も餃子を巻いています。
時代が進んできて昔はこんな風景は見られなかったと思いますが、今では男子が厨房に入って中心になって餃子を作っています。こういう所作が出来ないと大学進学しても、一本立ちは出来ませんから必然ですね。
おいしそうに焼けた餃子です。具がたっぷりと入っていて、見るからに栄養満点なようです。
皆でお食事会です。これはこれで美味しいものです。
ゆうらくの草刈りの応援に出かけました。ゆうらくも広大な面積がありますので、草刈りは大変なお仕事です。草刈りばかりでなく、植え込みの刈り込みなどの仕事もあり、作業員一人でやっていても間に合わないのです。1年に1度だけ手伝いに出かけています。
良い事もあります。お昼に昼食が出るのです。贅を尽くした昼食で、味も一級でおいしくいただきました 。ご飯はいくらの郷産でなじみの味ですから、お代わりでもしたくなるほど美味しくいただきました。
座禅の様子です。食って寝てただ座るだけ・・至って簡単な事ですが、このこと自体が随分と難しい事なのです。
食うと言っても実際に食物を得るまでの農家の苦労は大変なもので、自分で出来ることは精々それを求める金を稼いで来る位の事です。
寝るにしても深い睡眠を得るには、日中に十分に体を使って身も心も適度な疲労感がなければなりません。深く考えなくても誰でも気づく事なのに、日頃は意識すらしないで過ごしています。
座禅をして何も考えない、只座るだけと言っても、次々に雑念が浮かんできます。結局、浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念に囚われないという事が大切と学びます。このような経験をたくさん積んで、やがて独り立ちしていきます。人生の
どこかで、いくらの郷での日々を思い起こしてくれると、願ってもない事なのですが・・・。
N君には祠を作ったり、仏像はまだ完成していませんが、色々な取り組みをして、自分たちも良い勉強になりました。未来が開けたものになるように、卒業はまだ先の事ですが祈るばかりです。